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明後日、菜の花忌

 投稿者:BELL  投稿日:2007年 2月10日(土)12時33分0秒
返信・引用
   「八戸の里」駅から布施高校の横をぬけて記念館へ向かう道。約250のプランターに咲く菜の花。
『菜の花の沖』読もうと思ってはまた短編ばかりを読んでいる自分でした。
 

二年ぶりです

 投稿者:HOME  投稿日:2007年 2月 3日(土)01時53分51秒
返信・引用
  ここがまだ健在だったのでうれしかったです。病院に勤務しておりますので、入院中の方が司馬作品を読まれているのをよくします。司馬ファンの私としては、内心うれしく思ってしまいます。ほんのたまに「これ、私も読みました」と話すときがあります。先日お見かけした方は、入院時に坂の上の雲第2巻を手にしておられましたが、退院時には第6巻まで読み進められていました。互いの感想なども話したりして、退院後に交流を持つような出会いもありました。うれしい司馬効果です。  

はじめまして

 投稿者:高橋  投稿日:2006年12月17日(日)01時45分34秒
返信・引用
  はじめまして。
僕も司馬遼太郎が好きで、歴史ものは全部読みました。
竜馬がゆく、燃えよ剣、坂の上の雲、世に棲む日日なんかが特に好きですね。
NHKでもやった功名が辻、菜の花の沖も素晴らしいですよ。
今後ともよろしくお願いいたします。

http://cxrjk927.seesaa.net/

 

20006年12月

 投稿者:ゲロロ軍曹  投稿日:2006年12月16日(土)18時05分7秒
返信・引用
   司馬作品から離れてだいぶたつ。以前坂の上の雲を途中まで読み進めていたのだが、挫折。そのほかの作品もちょっと手をつけてみたがいずれも挫折。しかし吉田松陰が主人公の作品は4冊すべて読むことができた(それもまた不思議だが)。思えばなぜ数少ない読書経験のなかに、司馬作品が含まれていたのか不思議でならない。
 今日久しぶりにこのサイトを見てみたら、まだ続いていたのですこしうれしいと思った。たまに自分の頭の中に、司馬作品でも読んで歴史の学習でもするかと浮かぶのだが、でもやっぱり司馬より吉川英二のほうが面白いとか思ってしまう自分がいる。
 以前、司馬遼太郎の著書は、民衆の立場から書かれていないので、もっぱら社長ら、社会の上にいる人間が読んで面白いとかなんとか言う批判を目にしたことがある。
 少なくとも、吉田松陰が主人公の作品にはそんな感じはぜんぜんしなかったが、巧妙が辻はどうだろう。しっかり読んでいるわけではないからよくわからないが。
 冒頭に、司馬作品に疎い事を書いたが、こうしたことがちょっとは関係しているのかもしれない。
 実は今年の夏、吉川英二の太閤記を読んでみた(7巻目で挫折)。今まで太閤記の意味を知らなかったからという幼稚な理由もあることながら、歴史に対しての興味が再び自分の中にわいてきたからであった(日本の総理大臣が変わったことも影響しているのかも?)。
しかし、なぜ司馬ではなく、吉川の太閤記を選んだのか?巧妙が辻でもよかったのだが。
でもそんなことはどうでもよくて、読んだ後の感想としては、司馬作品でもおそらく同じような印象をもっただろうということだ。結局、文章途中にかいたあの司馬作品の批判に対してのマイナスイメージは、少し薄らいだ。
 もうすぐお正月。この期間に何か歴史小説を一冊くらいは読みたいなと勝手ながらに思っている。何にしようかと今この文章を書きながら、思いをめぐらしいる。(もしかしたらめんどくさくなって読まないかもしれないが)。
でも読みとしたら、司馬を読もう。民衆の立場云々にこだわっていた自分が馬鹿みたいである。関が原でも読んで、家康の胸中でも察するか(笑)

※この文章は思いつきで書いたものです。不快に思った方がいましたら、この匿名ネット社会の不都合としてお許しください。。
 

適塾のこと

 投稿者:西田圭介  投稿日:2006年11月23日(木)23時27分41秒
返信・引用
  大阪の北浜というところに「適塾」があります。
私が始めて読んだ司馬さんの作品「花神」が「適塾」の紹介から始まります。
昔と違って保存工事がほどこされ当時のままとはいきませんが「花神」にでてくるイメージのとおりです。
大村益次郎(村田良庵)の入門時のサインが残っています。
司馬さんはこの適塾がお好きだったようですね。花神をよむといつも適塾に帰ります。
司馬さんのある種の愛情を感じます。橋本左内、大村益次郎、福沢諭吉、佐野常民、大鳥圭介。こんな人たちが学んだ場所です。適塾に行くとこの人たちと同じ場所にいるというある種の感動を覚えます。私も昔よく行きました。大阪の町を歩くと都会の片隅に緒方洪庵の墓や大村益次郎の足塚、しらじらしい記念碑などがあります。
大阪に来られたら記念館とともにこの「適塾」も訪問されることをお勧めします。大阪城よりよほど落ち着いていいですよ。
京阪電車の北浜駅からすぐのところです。
 

Re: 昭和史をなぜ書かなかったのか

 投稿者:高野聖  投稿日:2006年11月20日(月)13時32分59秒
返信・引用
  西田さま

 お返事ありがとうございます。私こそ文章が下手で、司馬さんのことを語ること自体、恥ずかしいくらいです。こんな文書力ではとうてい、自分の思っていることが表現できているとは正直思えません。そんな中で理解しよう努力してくれ、返事まで書いてくれた方がいるだけでもとても感謝しています。
 実は私も、西田さまがいうように司馬さんが「書けなかった」んじゃないかと思っているのです。そのことが司馬さんにとって良かったのではないかとも思っています。
  NHKの大河ドラマですが、司馬さんの作品は、作者の解説が入っているところがおもしろく、それをドラマにするとおもしろくないのは言うまでもないと思います。
「坂の上の雲」は司馬作品の中でも批判が多い作品ですが、映像にするなら、ぜひとも司馬史観を感じさせてくれるような作品としてほしいですね。難しいでしょうけど。
 

昭和史をなぜ書かなかったのか

 投稿者:西田圭介  投稿日:2006年11月19日(日)16時13分51秒
返信・引用
  高野さま

お答ありがとうございます。私は読むことは好きでも書くことが下手くそで、先回の投稿で誤解を招かなかったかと少し心配しておりました。
あんまり良くもない頭で考えますに、やはり「昭和」はご自身体験された時代ですのでなまなましすぎたのだと想像しています。いつの時代でも暗い・醜い面があることも十分ご承知だっだはずですね。司馬さんの本にありましたが明治の軍事費が国家予算の6割に達していたとのこと、その影で国民の生活はどんなものだったか言うまでもなくご承知だったのだと思いますよ。司馬さんは。
ですので「書かなかった」というより「書けなかった」というほうが近いんじゃないでしょうか?
昭和の日本にもよい面もたくさんあったと思いますが、実体験があるのでよいところだけ書くなんてできなかったんでしょうね。「ポチ保守」なんて批判はだれにでもできます。司馬さんができなかった部分は司馬さんを読んで成長した人がするべき仕事だと思います。
ご存知かもしれませんが、NHKで「坂の上の雲」をドラマ化するそうです
http://www.nhk.or.jp/matsuyama/sakanoue/
司馬さんの作品をドラマ化すると視聴率が悪いというジンクスがあるようですが、あたりまえですよね。ドラマなんかで司馬さんの世界を表現できるわけがない。せめてドキュメンタリータッチにしてもらいたいものです。
今回はNHKさんも力を入れられるそうですから、少しだけ期待しています。
 

Re: 昭和史をなぜ書かなかったのか

 投稿者:高野聖  投稿日:2006年11月14日(火)09時37分9秒
返信・引用
  西田さま

 お返事ありがとうございます。小説や随筆には、いろんなことが書かれていますね。西田さんが言われるとおり、司馬さんは本当に人が好きなんだなというのはすべての作品の中に共通するものであるというのは間違いの無い事実です。また小説の主人公には、格別の思い入れをもって描かれています。それだけでなく脇役の人にも、かなりスポットが当てられ、主人公以上に書かれている作品もあります。
 ただ、昭和史に関しては、随筆、対談等では、明治とはまったく違った暗い時代であるようなことがよく書かれていますね。そこから、小林よしのり氏等から「ポチ保守」などとの批判を受けているのも事実です。
 ただ、戦前の昭和はくらい時代であったとはよく言ってはいますが、「百人切り」等の左翼の人たちがよく言っているようなことは、司馬さんが、「戦中に中国へ行っていたときにはそんなことは無かったので、そのような発言には困惑を感じる」とも言ってます。
そこから司馬さんの本当の気持ちを汲み取るのはなかなか難しいことだとは思いますが、小説に書くことはできないと思っていたのではないでしょうか?「ノモンハン」のことについてもかなり詳しく調べていたようですが、結局小説にはしなかった。そこにはやっぱり同時代に生きたということで、冷静に書くことが出来ないと思ったのではないかと私は想像します。
 

Re: 昭和史をなぜ書かなかったのか

 投稿者:西田圭介  投稿日:2006年11月14日(火)01時36分34秒
返信・引用
  初めて投稿させていただきます。
「昭和史をなぜ書かなかったのか」ですが、エッセイなどにたくさん書かれています。
印象的なのは「ノモンハンを書いたら死んでしまう」という言葉があります。
ご自身戦車兵として戦前・戦中の昭和のみにくさをいやというほど味わったかたですのでうなずけます。
やさしいかたですので、人のみにくさを書くのが絶えられなかったのだと思います。戦後の昭和もそうです。
「梟の城」や「新史太閤記」などでも突然終わっていますよね。主人公のみにくさに触れるのがおいやだったのだと思います。
晩年サンケイ新聞の記事に書かれています。湾岸戦争で日本は金だけと世界から嘲笑されたとき、司馬さんは誇らしげに書かれていました。「だから今の日本はいいんだ。誇りに思うべきだ。」記憶だけで書いていますのでこのとおりだったか怪しいですが、そんなやさしい方です。
だからこそあの「坂の上の雲」が出来上がったのだと思います。人間をみるのがどうしようもなく好きな方だったのだと思います。それゆえ人のみにくさを書くことができなかったのではないでしょうか?
 

Re: 昭和史をなぜ書かなかったのか

 投稿者:高野聖  投稿日:2006年10月26日(木)14時42分44秒
返信・引用
  文章がおかしかったので訂正します(訂正の仕方がわかりません)。司馬さんが昭和史を書かなかったのは、生な感情があるゆえに、歴史を正確に見ることができないと考えたため、書くことをしなかったと思うのですが、この掲示板を読んでいる皆さんは、どうおもいますか?  

以上は、新着順51番目から60番目までの記事です。 2  3  4  5  6  7  8  9  10  11  |  《前のページ |  次のページ》 
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