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Re: 昭和史をなぜ書かなかったのか

 投稿者:高野聖  投稿日:2006年10月26日(木)10時42分49秒
返信・引用
  > 昭和史を書かなかった理由としては本人が「この国のかたち(3)」『ドイツへの傾斜』で書いてるとおりだと思いますが。

返事が遅れてすいません。「ドイツへの傾斜」を読んでみましたが、初心者さんが感じている「司馬さんが昭和史を書かなかった理由」を私は具体的に読み取ることができませんでした。私が読んだ感じではやはり、司馬さんが昭和に対する生な感情があるゆえに、歴史を正確に見ることができないということが理由であるような気がしました。この掲示板を読んでいる皆さんは、どうでしょうか?
 

司馬遼太郎記念館見学

 投稿者:森凛万郎  投稿日:2006年10月16日(月)19時16分40秒
返信・引用
  はじめまして、ここ1年半ほど司馬作品を読み続けています。

今回旅行のスケジュールに入れ10月14日土曜日、司馬遼太郎記念館に立ち寄りました。
作品のために使用されたという膨大な資料に唖然としました。
『坂の上の雲』7巻、取材に5年、執筆に4年とは以前聞いたことがありましたが、今回の見学で『竜馬がゆく』執筆のために3千冊の資料を集められたと知り、司馬作品の描写の深さの背景には膨大な資料に裏付けられたものだと納得しました。

記念に持ち帰った入場券の半券にパンチで穴をあけ紐を通し、しおりを作りました。
 

皆様はじめまして!

 投稿者:サドル  投稿日:2006年10月14日(土)14時29分10秒
返信・引用
   こんなサイトがあったなんて知りませんでした。僕も司馬遼太郎命!!です。
2ヶ月に一度は京都へ行き、祖母のお墓参りも兼ねて、司馬さんの生前好きだった、”ビスコ”と”マイルドセブンライト”をお供えさせてます。

司馬作品は、エッセイ、対談を含め、全作品、好きです。
「世に棲む日々」
「国盗り物語」
「春灯雑記」みんな好きです。

       皆様ヨロシク!!

http://happytown.orahoo.com/aabky800-amika/

 

書かれた本が不明です

 投稿者:探してます。  投稿日:2006年 9月17日(日)22時30分20秒
返信・引用
  司馬さんの本だったと思うのですが、以下の文章が書かれた本が有った様に記憶してますが、書かれた本の題名が解りません。お分かりになる方がおられましたら教えて下さい。「有る物事に対して理由付けをすると言う事はその物事を鮮明にする事では無く、その理由の分だけ複雑にするか嘘になりがちのようである」よろしくお願いします。  

(無題)

 投稿者:初心者  投稿日:2006年 9月17日(日)13時59分5秒
返信・引用
  昭和史を書かなかった理由としては本人が「この国のかたち(3)」『ドイツへの傾斜』で書いてるとおりだと思いますが。  

昭和史を書かなかったことについて

 投稿者:高野聖  投稿日:2006年 9月12日(火)11時57分57秒
返信・引用
   司馬さんは小説家なので武論尊の父さんが言われるとおり、彼なりの歴史観にそったかたちで人物が描かれていることは、確かでしょう。それは、見る人によって、判断が分かれる部分があるのも、確かです。ただ彼は、極力、主観を省き、冷静に歴史を見た上で彼なりの歴史観を創り出している数少ない小説家であるのは万人が認めることだと思います(私が言うまでもないですが)。
 それゆえに、彼は昭和史を書かなかったのではないか、と思うのです。歴史というものは、その時代に生きた人ではなく、冷静に判断できる時期になってから、その時の歴史家が書けばいいと彼は考えていたのではないか。実際に昭和を生きた彼が書くものではなく、将来の歴史家が書くものであると考えていたのではないか。そこが司馬さんが偉かったところではないかと私は思うのですが、どうでしょうか。
 

「世に棲む日日」3巻から

 投稿者:コドモの王国  投稿日:2006年 9月 4日(月)22時41分2秒
返信・引用
  教育の実質的最高責任者といえば、
文部科学大臣のはずだが、いじめ
問題や、会話も出来ず、劣等感だけ
植え付けてきた英語教育の責任も
取らない。

大学出ただけで、管理能力皆無の新人
教師になんのフォローもせず、授業を
させて、ノイローゼになっても本人の
責任で、文部科学省は責任も取らず、
改善もしない。

司馬遼太郎の指摘したとおり、大臣は
なんの責任も取らない祠なのだ。
文部科学省の役人も、校長も、教師も、
それを何も考えずありがたがってる神主
なのだ。

幾百万の日本人が、戦争で死んでも実質的
責任者がいなかったように、
欠陥教育で膨大な時間を無駄にした多数の
日本人に対してなんの責任も取らず、今も
それを続けている。

ひどい言葉ですが言わせてください。
「コイツラ、キチガイダ。」

http://blog.goo.ne.jp/kodomooukoku/

 

司馬さんからの葉書のこと等

 投稿者:bookman  投稿日:2006年 8月30日(水)20時46分5秒
返信・引用
  洋古書を主題としてホームページを開設している者です。司馬さんの署名本をいただいたことから、我がホームページに司馬さんのことを書いてみました。よろしければ、下記URLの「掲示板」をクリックしてみてください。
http://www.eonet.ne.jp/~bookman/

http://www.eonet.ne.jp/~bookman/

 

masaさんへ

 投稿者:武論尊の父  投稿日:2006年 8月 7日(月)18時16分7秒
返信・引用
   大村益次郎(村田蔵六)は、本当に『花神』に出てくるような人物なら、現代社会ではまともなコミュニケーションは無理でしょうね。(当時でも無理?)でも脇から見ているととてもこっけいで面白い。その脇の部分が“司馬作品”なんでしょう。
 逆に岩村精一郎などは、坂本竜馬を頼って京都をうろうろしていただけで軍監なんかになってしまったから、河井継ノ助などは、「こんな小僧が・・・」みたいになってしまったのでしょう。でもそれはある意味岩村の責任でもなんでもなくて、当時そういう状況であった。それが司馬作品であの様に伝えられてしまったから、「大局の読めない大したことの無い人物。」みたいに岩村を捉えてしまってます。しかし岩村の歴史はその後も続くわけで、我々司馬作品ファンからすれば、“精一郎”でなく“隆俊”になってからの歴史も確認した上でトータルに岩村評価をしてあげないと、ちょっと可哀想ですよね。そこいら辺が、司馬作品の功罪の“罪”の部分ではないでしょうか?
 ただ司馬さんもその事はある程度分かっていて、それがあったからこそ、『坂之上の雲』を映像化するのはOKしなかったり、昭和史を書けなかったりしたのだと思います。
 

(無題)

 投稿者:masa  投稿日:2006年 8月 5日(土)13時21分32秒
返信・引用
  武論尊の父さん、ありがとうございます。実は自分は昔すごく龍馬が大好きで今井信郎なんか目の敵にしてました。しかし嫌いな人物を調べてみると意外と面白い人物で好きになることがあります。今井信郎、岩村精一郎、世良修三、唐のフウ道など最近好きです、逆に嫌いになる人物もいます大村益次郎、勝海舟などです。
本を読むとき「尽く書を信ずれば即ち書なきに如かず(本に書かれていることを全部鵜呑みにしたら読まないのと変わらない)」という言葉に気をつけています。最近読んだ本は「佐幕派史談」「坂本龍馬を斬った男」「永井蠖伸斎伝」「梁田戦跡史」「戊辰朝日山」「臼杵隊」「通俗二十一史」「劉裕」など司馬先生の作品では「項羽と劉邦」です。
 

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